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作品展等に寄せて 作品展等に寄せて

公益財団法人松本文化芸術振興財団
創設の意義と歴史

公益財団法人松本文化芸術振興財団理事
前事務局長 江口 恭俊

 財団創設は、スーパーマーケット業を経て不動産賃貸業へ転進を図った江島屋を開設した松本高光(義父)が、平成四年に社長退陣したのを機に、前々から関心を持っていた美術を通じて社会に貢献したいとの考えが始まりでした。
 当初は、アマチュア作家への援助という話もありましたが、松本高光・登美子夫妻と同郷の朝倉郡出身、芸術院会員・社団法人示現会元理事長の大内田茂士氏(平成六年没)に相談したところ、子どもたちへの援助をしてはという発案により、同会の福岡支部長で福岡教育大学名誉教授、宮崎集先生と相談するよう指示を受けたことから、宮崎先生との二人三脚の活動が始まりました。
 宮崎集先生からは、福岡県下の最大の子ども美術展は福岡県小学校児童画展であるが、その運営に当たる事務局は、何時もその資金繰りに苦労しており、助成金を出すことができないだろうかとの問いでした。また、子ども美術展には、幼児画も対象として含めることで子ども美術展に対する振興財団の目的が達成されるのではないかとの提案がありました。そして福岡県内では、代表するような幼児画展がないので、これを機会に西日本新聞社が主催する公募の福岡県幼児画展開催を検討していただこうと言うことになりました。以上のような具体的な提案もあり、私たちは子ども美術展を援助する振興財団を創ることを決意しました。
 人間味あふれる子どもが育つことを願いながら、小規模財団ではあるが、永年継続していくことで福岡県の子ども美術展の発展に寄与できると考え、財団法人設立活動が始まりました。
 平成四年に福岡県教育委員会に財団法人設立のために相談に行きましたが、子ども美術展への助成金交付のみでは財団法人設立目的の意義に乏しく許可は下りないという結論に達しました。
 そこで、福岡県小学校児童画展の現状と課題を調査したところ、子どもの作品は美術展開催後一年間だけ各学校の授業等に活用されているが、もっと有効に活用できる方法がないかということから、県児童画展の特選作品だけではあるが、図書館で利用されている管理システムのような画像も確認できる絵画データベースシステムを構築することと、財団事務所内に作品を収納する書庫を設け学校教育に利用された後の絵画作品を一堂に集め貸し出しができるようにすることに着目いたしました。
 以上の活動を助成金交付に追加すれば、今迄の子ども美術展にはない生涯教育に繋がる新しい子ども美術展を創造できる。
 このような骨子をもとに財団活動を申請した結果、異例の早さで財団法人の許可を受けることができました。財団設立から、現在ではもう二十年経過しました。
 今では、インターネットが普及しましたので、絵画データシステムを活用してインターネット子ども美術館を構築し世界中でも二万点に近い作品を発信しているホームページは他に例を見ないものと自負しています。
 当財団の沿革を振り返れば、設立当時から常務理事として活躍して頂いた宮崎集先生なしでは現在の公益財団法人の存在は考えられません。永年のご指導とご助言に心から感謝申し上げます。
 謹んで宮崎集先生のご冥福をお祈り申し上げます。
合 掌

宮﨑 集先生創設
「福岡県幼児画展について」

福岡県幼児造形教育研究会会長
青木 道雄

 美しさを幼い心から育むことに執心された宮﨑集先生でした。
 福岡県幼児造形教育研究会を創設されたのも、この熱い想いからでしょう。
 絵は幼い子の心を表し、その造形活動は心を育てます。幼児が自分で考えたことや感じたことを表現するとき、歌や身体表現、言葉等、いろいろな方法はあるけれど絵の表現が最も適していると主張されていました。
 その想いは、すでに幼児造形の研究・価値の認識を広げようと昭和四十六年に志高湖集会(後の城島集会)を立ち上げられ、昭和五十二年には、幼児造形教育の盛り上がりは霧島集会へと繋がり、さらに長崎の雲仙研究集会へと九州全域をまとめて、まさに宮﨑先生の熱意は燎原の火のように広げられていきました。
 昭和五十三年、九州色彩教育研究会を導入以来、その研究部門に幼児造形を開設され、幼稚園・保育所(園)コースの楽しく実践的な指導が行われてきているのです。
 このような宮﨑先生の幼児造形への想いは、地熱のマグマ噴出のように、平成七年に第一回福岡県幼児画展を創設されたのです。
 この福岡県幼児画展は、幼・小一貫の教育的立場から、幼児の絵画表現に対する興味・関心を高め、表現力を高めるとともに豊かな情操を養うなどして「福岡県小学校児童画展」に関連・発展させ、幼児教育に寄与することを目的とされたものでした。
 宮﨑集先生のその大きな教育目標の企画は、今年二十回目の大台に乗る幼児画展へと発展したのです。
 第一回から毎年七千点を上回る幼児画の応募が続いてきました。これは宮﨑集先生の幼児画に対する想いが、県内の幼稚園・保育所(園)の先生方に浸透しているからだと思われます。
 先生が、何時も私に指導してくださった美しさの追究を、幼い心から育てていくように…。と言われた姿が物周りにあります。
これからも、この途を広げていく努力を誓うばかりです。

福岡県小学校児童画展

元福岡県小学校図画工作教育研究会事務局次長
公益財団法人松本文化芸術振興財団理事
大場 和夫

 福岡県小学校児童画展は、昭和二十七年に発足し、今年で六十三回目を迎えようとしている。半世紀以上の歴史の積み重ねがあり、最近では年の初めに福岡市美術館で開催されるようになった。
 戦後の学習指導要領の改訂が進む中、日本教育美術連盟が昭和二十三年十月に第一回全国造形教育研究大会を(現在の全造連)愛知県の一宮市で開催し、翌年の昭和二十四年には造形表現・図画工作・美術教育研究全国大会(現在の西日本大会)が開催されて戦後における全国の造形教育推進に大きな影響を与えた。
 福岡県では、昭和二十五年に福岡県図画工作研究会が発足し、翌年の第四回全国造形教育研究大会福岡大会の準備に取り掛かった。そして、昭和二十六年には小、中、高、大学校が一体となり福岡大会を開催した。青柳光治先生や佐々木毅先生は企画運営にまわり、宮﨑 集先生は鑑賞教育の分科会で提案されたという。
 そして、昭和二十七年には県下四地区から児童の絵画・版画・デザインを集め、第一回福岡県小学校児童画展を誕生させた。
 発足当初は、中央から西光寺 亨先生や林 建造先生や青野馬左奈先生等を招聘し、四地区の審査をお願いした。その後教育委員会や福岡学芸大学(現福岡教育大学)の先生方にお願いしてきたが、次第に各地区の経験者が審査に当たるようになった。
 展示会場は、当初は適当な展示館がなく、昭和二十八年に福岡市の呉服町に開店した博多大丸の階段の壁を借りて展示したという。
 その後、昭和五十年には博多大丸の天神移転に伴い展示会場も福岡天神大丸に移し、八階の特設会場で開催した。
 平成の時代に入り、平成十五年度には福岡市美術館で開催し、途中アジア美術館で開催したが、今年度で十一年目を迎える。
 表彰式は、当時は適当な会場がなく大名小学校や御供所小学校で開催したと聞く。現在では、福岡市美術館の講堂で実施しているが、以前は西日本新聞会館の十四階で開催してきた。
 また、後援団体が増加したことに伴い、各種の学校賞を受賞対象として創設してきた。そして、受賞の対象校には校長の出席を求め、表彰式の格式を高める努力をしてきた。
 運営全般については、事務局が記録の整理と見通しを持った計画で対応しているので順調な推移を辿っている。
 福岡県小学校児童画展は、以上のような経緯を辿り、今日に至っているが、福岡教育大学名誉教授宮﨑 集先生には、永年の県児童画展の審査をはじめ公益財団法人松本文化芸術振興財団の設立や福岡県美術協会への協力要請など、児童画展の充実・発展に多大なる貢献を頂き、深く感謝する次第である。